「デュアル・ユース」という言葉があります。「軍民両用」と訳されます。代表的なものは原子力で、豊富な電力を空気を汚さずに作り出せる「温暖化から地球を守る救世主」であると同時に、文明を破滅に導く核兵器の開発にも応用されています。「科学技術の発展は、人を生かし、同時に殺す」ということで、現代の科学が抱えるジレンマと言われています。
さて、広告の話です。科学の進歩が文明を破滅にも向かわせかねないという話は、原子力の開発に限ったことではありません。インターネットも、際立った功罪を併せ持つ技術の一つです。もともと軍事用に開発された通信技術と言われていますが、軍事面と直接関係がなくても、人を自殺に追い込んだり、犯罪の手口を巧妙にしたり、あるいは民主主義の生命線でもある「選挙」の公正さを破壊するような扇動や妄言も後を絶ちません。その悪用から身を守るには、今のところ自分で自分を守るしかないように見えます。
一方で、インターネットを含むメディアの進歩による恩恵の大きさは、おそらくそのデメリットをはるかにしのぐものです。広告も当然その一部です。良心的で有益な広告は、生活に与えるメリットが大きく、良質な情報ソースです。ただ、その逆である悪意に満ちた広告の存在も否定できません。技術の進歩に伴い、販促活動の施策も多様化・高度化していることを背景に、広告表現も新たな手法がいろいろと試されており、中には違法、または触法すれすれのものも散見されます。
玉石混交の情報があふれ、全ての情報をチェックすることが至難の業になっている現代において、その情報が信用できるか否かは、ある程度、生活者である我々自身が見極めていくしかありません。広告表現の信ぴょう性を生活者自身で選別する「リトマス試験紙」を、いくつか探してみました。同時に、広告を発信しようとする立場から見て、どうすればより信頼されるのか、併せてTipsとして紹介します。
昨今のメディア別「信頼度」と「発信者」
下の表は、総務省が調べた「各メディア別の信頼度」(2021年)です。4大マスメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)の信頼度が高く、ネット系については全体としてマスメディアよりも低調です。ただし、ネットの中でも発信する情報や発信者によって、かなりばらつきがあると言えます。

(出典)総務省(2021)「ウィズコロナにおけるデジタル活用の実態と利用者意識の変化に関する調査研究」
ネットの中で信頼度が比較的高いのは、主に情報発信元の信頼度が背景にあると想像されます。既存の歴史ある新聞社や放送局が出しているニュースサイトがそれにあたります。一方、発信元の多くが個人の匿名、あるいは無名であるSNSは、メディア自体の信頼度も低くなっていると読み取れます。SNSの場合、発信元が明記されていても、場合によっては「なりすまし」が存在したり、某国の大統領候補の発言は信用できない、のように、同じ有名人でも受け止め方は受け手次第と言えるでしょう。
このデータは、一般的な書き込みや記事を含むサイトの情報全体についての回答を集計したものですが、おそらく広告についても、ほぼ同様の信頼度の傾向があると想像されます。知名度があり名の通ったスポンサーの広告は、掲出されたのがニュースサイトであろうとSNSであろうと、ある程度高い信頼度をもって受け止められていますが、同じ広告コンテンツ(例えばCM動画)を流しても、定量的にはテレビの方が動画サイトよりも信頼度が高く出る可能性が高いでしょう。
情報発信の「主語」で判断する
このデータから、二つの示唆が浮き彫りになります。
一つは、広告の費用対効果を比較検討するには、この信頼度を掛け算してから比べないと、期待する結果が得られない可能性が高いということです。たとえば、信頼度80%のAというテレビ局と、信頼度40%のBというSNSサイト(どちらも強制視聴)に中身も単価も同じCM動画を流したら、テレビ局の効果期待値がSNSの2倍高くなる道理だということです。これは、広告を出稿する側からすれば、侮れない数値のズレだと思います。
もう一つは、逆に消費者の側からすれば、すでにこの調査が行われた時期において、消費者は既に「賢い」ということです。少なくとも、ある程度の慎重さを持っていると言えます。広告に限ったことではありませんが、その情報発信元が「誰か」によって信頼するかどうかを判断している人が少なからずいるということを、この調査結果が示していると言えます。
情報の信頼度を、誰が発信したかで測る方法は、ある程度の確度がありますが、その「主語」というのが実際の情報提供者ではなく、それを掲載しているメディアやサイトのことだとすると、一概に適切な判断法とは言えないかもしれません。ユーザーの投稿によって生成される「ユーザー生成コンテンツ」やキュレーションメディアは、実際の情報提供者がそのサイトではない分、情報の正確さにも疑問が残ります。それも含めて、情報提供者を吟味する必要があります。
例えばグルメ情報サイトを見るとき、そのサイトそのものを信頼するのではなく、自分もすでに行ったことのある複数のレストランに投稿している人を探し出し、その中で共通して自分と似たような感想を持っている人を信頼して、他のレストランについてもその人の投稿を当てにするという人がいますが、これは的を射た方法かもしれません。
[Tips]
広告の見極め法-1 発信元が誰か、で判断する
広告の見極められ法-1 信頼できるメディアから発信する
そのファクトは、十分か?
広告の表現だけからその真偽を判断するのは困難です。ですが、ある程度想像することはできます。広告の表現は、SNSの口コミなど一般的な書き込みと違い、法律によって様々な規制を受けているからです。代表的な法律が「景品表示法(景表法)」で、これはマスメディアやインターネットの他、店頭のPOPやポスター・看板、ダイレクトメールやメルマガ、さらには売り子の売り口上に至るまで、あらゆる広告文句が対象になります。
どんな表現が禁止されているかを具体的に列挙することはここでは控えますが、代表的なものに「優良誤認」があります。文字通り、「いいものだと誤解させる表示」のことです。「この飲料を飲めば食事制限なしで痩せる」と書いてあるのに、それを裏付けるデータがないとすれば、「ウソつき広告」となり、法律違反となります。ただ、多くの広告で「全くのウソ」ということはむしろ稀です。では、例えば「〇〇さんの場合、この飲料を飲み始めて1か月後、体重が8kg減りました」という「ファクト」が付帯していたとしたら、どう判断すればよいのでしょうか?
結論から言うと、×です。まず、例の数が少なすぎます。次に、「この飲料で痩せた」という論拠がありません。ゆえに「これを飲めば痩せる」との宣伝をすれば、やはり違反となります。食品・飲料の広告表現は、景表法の他にも「健康増進法」「食品衛生法」「医薬品医療機器法」など複数の法律で、その効能効果について言える範囲を規制されています。ですので、逆に言えば、それを超える表現を敢えて掲出していることが、既にその時点で真偽を怪しんだ方がいい、ということです。法律を理由なく破る業者はいません。法に関して無知だったか、知っていたが法を犯さないと商品が売れないと考えたのかのいずれかです。どちらも信頼に足る業者・商品とは言い難く、商品購入は差し控えた方がいいでしょう。言い換えれば、真偽は定かでなくても表現の仕方が法律違反であるかどうかが試金石となるのです。
個人的な経験談しかファクトがない
商品が効果に結び付く科学的因果関係が薄い、非論理的
裏付けとなるファクトのサンプル数があまりにも少ない
昨今、消費者庁や公正取引委員会も、これら「優良誤認表示」の取り締まりを強化していると聞きますが、実際あらゆる広告をすべてチェックするのは至難の業で、消費者自身がデータの見極めをすることがまずは必要と言えます。一方、新聞やテレビ・ラジオは、自媒体に掲載する広告はすべて社内の事前審査を受けてからでないとオンエアできないことになっており、それが広告の信頼を高めていることにもつながっています。メディアの審査を受けていないインターネットなどの広告表現で、その表現法に触法の疑いを感じたら、それはその商品自体が怪しいと思った方がよいでしょう。
必要に応じて、さらなる修正が可能ですのでお知らせください。
[Tips]
広告の見極め法-2 効果の根拠について適切に示しているか
広告の見極められ法-2 根拠となるファクトとその謳い方をよく吟味する
他にもある、怪しむべき表現スタイル
上記のように、具体的な効能・効果を謳う機能表現は、違法性の判断も比較的しやすいのですが、「おいしい」「快適」といった感覚表現は、もともと人によって感じ方が異なるため、かなり大げさな表現でも違法とは言えない場合が少なくありません。よくテレビの通販番組では、嬉しそうに体験談を話す「利用者」のコメントの画面下に、小さく「個人の感想です」という文字を見つけます。多くは法律ではなく放送局の考査基準をクリアするための措置ですが、ネットになるとそのあたりの基準が緩く、かなり大げさな表現が横行しています。
消費者として、これらの「感覚的大げさ表現」はどう見分ければよいでしょうか。
一つには、「100%表現」が用いられているか否かがあります。例えば、予備校の広告で「絶対に成績が伸びる」とか、化粧品で「必ず美しくなれる」は、疑ってかかる方がよいでしょう。誠実なセールストークは、このような「100%表現」よりも弱く見えてしまうので、つい強い表現に惹かれてしまいそうになりますが、ここは一度冷静に受け止めてみたいところです。
もう一つは「総花的美辞麗句」です。前述の、化粧品で「きれいになれる」とか、食品で「おいしい」とか、当たり前すぎてそもそも魅力的ではありませんが、商品のメリットをこのような言葉でしか表現できないのは、その商品にさして述べることがないからか、さもなければ絶対的な自信を持っているかのどちらかです。「総花」かどうかは、信用度を測る物差しになるでしょう。
[Tips]
広告の見極め法-3 「言い過ぎ」「ふつう過ぎ」に注意
広告の見極められ法-3 ファクトを忠実にアピールする広告は信頼される
まとめ
マスメディアの広告は、法律や媒体社の規制の中で、いかに合法的にインパクトのある表現を作り上げるかと、クリエイターたちが苦心してきました。それが、表現の高度化を育てたといっても過言ではないでしょう。多くの産業が成熟化し、新たな魅力を訴えにくくなっている中で、その規制を守らない、あるいは違法すれすれの表現が、特にインターネットの広告には散見されます。さらに、ステマ広告やフェイクニュースなど、その手法にも詐欺まがいのものが横行しているのが現状です。
世の中のあまたある商品の信頼度は、消費者個人ではなかなかわかりません。ただ、メディアによる情報伝達がこれだけ高度化・複雑化したおかげで、かえって広告表現者の表現力がパターン化しているように見えます。行き過ぎた表現や、逆に陳腐化した表現が、消費者が信ぴょう性を見極めるリトマス試験紙になり得ますし、一方で、これから広告表現を吟味する上で「べからず集」にもなるように感じます。もちろん、この手法に引っかかる商品のすべてがいい加減な商品だと決めつけるのは早計かもしれません。ただ、「デュアル・ユース」とも言うべき進化を遂げたメディア技術の中で、広告表現がかえって消費者の「核シェルター」にもなってくれる可能性を見せてくれているように思えますが、いかがでしょうか。